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| 2012.01.17 Tuesday | - | - |
| 2012.01.17 Tuesday | - | - |
08:14
でも今私は落ちこみ気味で、前に進む道を迷っている時期だからこそ、
書こうと思った。
私は自殺した人を身近に4人知っている。
1人は友人から聞いた話なので、
細かい事はわからないが、ビルから飛びおりた。
後の3人は細かい状況まで把握している。
1人は、車の中でお腹に包丁を差し死んでしまった。
この人はうつ病ではなく、彼女の浮気で苦しんで死んでしまった。
その彼女は私の知人。
別に彼女に責任を押しつけた文書など無いので、
彼女は平然と今も生きている。
後の2人は首つり自殺だった。
2人ともうつ病だったが、
今となっては理由はわからない。
ただ、後から私は2ヶ所とも現場を見た。
両方とも普通の場所だった。
あの頃「自殺マニュアル」と言う本がはやっていた。私はそれを古本屋で呼んだ。
普通の本屋では、セロハンで囲われていて立ち読み出来ないから。
自殺する場合、首つりが一番楽に死ねるそうだ。
私はこの病気になって、死にたいと、何度も考えた。死ぬ方法も考えた。
でも死ぬ事は、とても勇気のいる事だともわかった。
そんな簡単には死ねない。
死んだ人を凄いとも思った。
これは死ぬ事を本気で考えた私の結論だ。
でも上記の死んでいった人達周辺の、
残された周辺の気持ちがわかったから、
死ねなかった。
死んでいった人達は、後を残さない。
奇麗さっぱり死んでいる。
死ぬ死ぬと言っている人ほど、案外死ねないと思う。
死ぬ人にはそれないの覚悟と勇気がある。
かゆみ脚と何をするか、腕
今の私にはそれだけの勇気がないから、
死ねないのかもしれない。
今まで何度死のうと思ったが、
やっぱり、死ぬことは出来なかった。
それはやっぱり私の中途半端な甘えがまだある証拠。
死んだから偉いとは思わないが、
生き続きている事はもっと辛いことだと思う。
Comment
でも今はコメント下さる、同じ病気を
抱えている人達に、
私が私も周りに言えなかった事を
このブログを通して言えるので、
少し楽になってきています。
もっともっと楽になれるようになりたいです。
私もよく死にたいと彼氏に言って困らせてしまいます。
しかし、昨日24時間テレビを見て考えを改めました。
それは私が大好きなSPEEDが再結成しました。
絵理子の息子は聴覚傷害があり絵理子の歌声が聞こえない。涙がとまりませんでした。それでも絵理子は笑顔で息子と向き合っている!
私の誓い
女として生まれてきた以上、健康な体なら子供を産む!
好きな人と結婚し、子供を産む
だから『死ぬ』なんてもう言わない。病気治してしっかり生きます☆
私より五体満足じゃなくても
頑張っている人がいるんだとか、
生きたくても生きられない人をみると、
死ぬなんて贅沢過ぎる等、
病気じゃない周りの人々に言われましたし、
それはその通りだとわかっては、
いましたが、それと自分を比較する事は
出来ませんでした。
上位200の処方箋
友人だからわかってくれると
思っていましたが、
この病気じゃない人には理解出来ないんだな
ってつくづく感じました。
私も最近は病気の事は話さないように
しています。
それでも心に抱え込むのは
中々辛い事です。
kekecoさん おはようございます。
私も死に方は何通りか考えましたが、イザという時に身近な人達の顔が浮かび泣きながら諦めてきました。
事故や熱中症を装えば、自殺より遺された人達の負担は減るかなぁ?とかも。
死んじゃった方がラクかもと思い続けながら、生きたくても生きられなかった人達の顔も浮かびます。
病気を抱えながら、病気のために出来ない事を諦めながらも心優しく家族に感謝して若く逝ってしまった友人も。
目に見えるようになった病気と、いまだに誤解される病気の違いはありますが。
私のカミングアウトは中途半端で、わかってくれそうな人にしかしていません。
それ以外の人達に私は体が弱いことになっています。
病名が何であろうとら無理が出来ない事に変わりはないので良いと思っています。
今の医学ではうつ病という診断名になっているだけかもしれないし。
今はまだ生きている。
10年、20年経ったら、今をどう振り返えられるかを支えにしている私もいます。
今のところは、死ぬ願望はありません。
生きる事を選んだ事を勇気として
思えるように、日々生きていきたいと
思っています。
アスピリンの致死量は何ですか
こういう話は、うつ病以外の人に
話すと嫌悪されるので、
今回あえてブログにのせてみました。
ずっと心に重りのようにのしかかっていたので、
少し楽になりました。
有り難うございます。
ぶんぶんさん、おはようございます。
私も死に損なったので、
この様な事を考えてしまったのかも
しれません。
色んな人に迷惑かけた分も、
自分の為にも、生きていて良かったと
実感出きる日が来る事を願いたいです。
私は半年近い間、毎日のように死ぬことを考えていた時期がありましたが、
結局、満足のいく死に方は見つけられませんでした。
どうしても周りの人に迷惑をかけない方法がありませんでした。
私たちのように、死ねなかったと言っている人たちは、
「死にたい」と思うのと同時に「生きたい」と思っているのだと思います。
他の人の迷惑になるから死ななければいけないという気持ちに反して、
他の人の迷惑になるから生きなければいけないと思っているはずです。
自分のことだけを考えて行動することを勇気というでしょうか?
生きることを選んだことは甘えでしょうか?
他の人のことも考えて生きることを勇気と呼びたいです。
自分のことのみを優先する心を、甘えと呼びたいです。
いままで少しずつうつ病も良くなってきたと思います。
少しずつ良くなって、いつかスッキリとした気持ちになれる日は来ます。
kekecoさんには辛いと思う「生きること」を選んだ勇気があります。
きっと、うつ病を克服する日が来るはずですよ!
私は死に損なった組なので…自殺を実行できる人はある意味すごいと思います…
私は一度、未遂?(高層マンションから飛びおりようとしたが、結局怖くてできなかった)しました。
で、自殺さえできない自分を責め…未遂から一年後またひどくなって、今度は両親に殺して欲しいと懇願(最高の親不孝?!)。結婚後も消えてなくなりたいという欲求から逃れられなかったり…
そんなこんなで、比較的いい状態と相当悪い状態を繰り返してました。またひどい状態になるかもしれない…けど、そういう経験もすべてひっくるめて、結局今の私があって、私にとってはすべてがある意味、貴重な経験。周りの人に相当心配させたし苦労もさせました。でも当時は仕方なかった(と思う)。だからいいのです!(苦笑)
よくなったり悪くなったりする病気。でもね…きっとkekecoさんも楽になり、生きていてよかったと思える時が必ず来るはずです!!
私から見ると、kekecoさんはこうやって日記を書いたりと前向きに生活してらっしゃると思いますよ♪
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